別れは もっと先だと思っていました
80代も半ばを過ぎれば多少なりとも体の不調が出てくるものですが、父は自力でトイレに行き、いつも通りの生活を送っていました。身内びいきかもしれませんが、比較的元気に暮らしていたと思います。
私たちには文十鳳凰殿 平安会館さんに勤めている身内がいて頼りになり、もし仮に何かあったとしても大丈夫だと、葬儀への不安は一切ありませんでした。けれども、そうした気持ちの余裕が一瞬にして吹き飛ぶほどに、別れは突然訪れました。
葬儀のプロに助けてもらえる安心感
2021年9月22日に父が急逝し、残された家族は現実を受け止めることから始めなければなりませんでした。
通夜や葬儀の日程決めから誰に連絡すべきかなど、やるべきことは山のようにあります。
「どのように見送りたいか」と考える余裕などなかったため、担当の内野さんからの提案や懇切丁寧な説明が非常にありがたかったです。混乱していた割には、打合せは非常にスムーズにいきました。
思えば、父のことで連絡を差し上げ、最初にお会いしたスタッフの方や他の方も、説明が分かりやすかったです。どんな質問にも的確に答えてくださるので、経験豊富なスタッフの方が多く在籍しているという印象を受けました。
ろうそくに火を灯して行った、心のこもったお葬儀
葬儀の中で印象的だったのが〈献灯の儀〉という儀式です。
喪主である私が灯したろうそくの火を、文十鳳凰殿 平安会館さんに勤めている身内が祭壇まで運び、祭壇のろうそくに灯してくれました。
傍目には、ろうそくに火をつけただけと思われるかもしれません。
しかし、父の息子である私がつけた火を、父の娘が祭壇へ運び、ろうそくに火を灯すということ…。この行為のひとつひとつに意味があると考えたとき、お別れの儀式を行っている実感が湧いてきました。
司会の方が「お父さん、見ていてくれてますよね。いつも長女さんは、このように大切な命をお送りするお手伝いの仕事をしていますよ」とナレーションを入れてくださったのも、感慨深かったです。
そうこうしているうちに、葬儀は滞りなく終了しました。
コロナ禍の中での葬儀のため、参列者の人数は多くなかったものの、参列した方から「良い式だった」とお褒めの言葉をいただきました。それもこれも全て、細やかに気遣ってくださったスタッフの皆様のおかげです。
もしものときには またお願いします
つい先日、きょうだいで集まって父の49日忌法要を執り行いました。こうして、すべきことを一つずつ終わらせていくことで、気持ちも落ち着いていくのかなと感じている次第です。
母には父の分まで長生きしてもらいたいと思っているのですが、もしものときには、文十鳳凰殿 平安会館さんにまたお願いしようと考えています。
大切な人に何かあり、困っている方を見かけたら、私は文十鳳凰殿 平安会館さんを薦めたいと思います。どのスタッフさんも良い方ばかりで、必ず力になってくれるから安心していいと、そう伝えます。
ご担当の内野さんをはじめ、スタッフの皆様、その節はお世話になりました。
本当にありがとうございました。